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ロックの部屋

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T.Rex

Tレックス特集第一夜《グラム・ロック登場》

今日話題にするのはTレックスです。Tレックスと言えば1970年代前期デヴィッド・ボウイと共にグラム・ロックムーヴメントをリードしていたグループです。グラム・ロックというのはグラマラスなロックの事で男性でありながらメイキャップしてステージに上がり、光輝くラメやサテンのコスチュームを身にまとっていました。今でこそロックアーティストがメイキャップすることは珍しくありませんが当時としては画期的であり衝撃的だったのであります。日本でもグラム・ロックに影響された【沢田研二】などが化粧してラメのコスチュームなどでベストテンとかに出演していました。

私の青春時代はTレックス(マーク・ボラン)と共にありました。「ジープスター」も「テレグラム・サム」もいかしていたけど「メタル・グルー」のギンギラのブギーサウンドには参りました。ちなみにTレックスのブギーサウンドにいかれて恍惚状態になることをTレクスタシーと言います。私は毎日がTレクスタシー状態でした、この頃。

《METAL GURU》
♪メタル・グゥルー、それはおまえのこと
 鋼でできた固い椅子に座っているね
 誰からの電話もなくひとり寂しく
 メタル・グゥルー、それはほんとかい
 僕の恋人を連れてきてくれるって
 そう、彼女はすごくお転婆な
 ロックンロール・チャイルドだろうね
 メタル・グゥルー、それは銀色のボタンのような
 剣のように鋭い刃のような夢みたいだったかい
 そう、僕はとってもきれいになるよ
 もう汚らしいマシンじゃないんだ
 メタル・グゥルー、それはおまえのこと♪

グゥルーとはヒンズー教の伝道師の意味でありメタルは金属なので、《メタル・グゥルー》とは《金属製の伝道師》となります。すなわち金属製の伝道師とはマーク・ボラン自身です。

歌詞からも感じとれるように、きらびやかなロックブギーとスター志向性はビートルズ解散以降のロックシーンに待望されていたものだった。【レッド・ツェッペリン】等のハードロックには飽き足らなかったティーンのね。私はそれにすぐ反応したけど、一般的には「なにあれ?」見たいな感じでしたよ。いつだって鋭く反応するのは若い女の子達ですね。イギリスの場合でも、日本ではどうだったのだろう。学校では私の周りではロック聴いている人はいなかったからな。

Tレックスがエレクトロニックなバンドに変身する以前のバンド名【ティラノザウルス・レックス】時代ではアコースティックな音楽をやっていたのですが、1970年に発売されたシングル「ライド・ア・ホワイト・スワン」でTレックスと名前を変えている。イメージチェンジの為と言われているが、サウンドも明らかにエレクトロニックに変貌しているのです。

それから続く1971年発表のシングル「ホット・ラブ」が英国でNO1ヒットになり、この頃からビートルズの再来と言われるような熱狂的な人気を博していきます。

ファンの熱狂ぶりを撮影した記録映画が作られている。それが、ビートルズのリンゴ・スターが監督した『BORN TO BOOGIE』という映画です。1972年にイギリスで公開されたのですが、日本では公開に至ってはいませんでした。

このLD盤が1991年に発売されました。当然私も買いました。第二夜はこの秘蔵ドキュメント映像の話をしたいと思います。

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Tレックス特集第二夜《BORN TO BOOGIE》

映画《BORN TO BOOGIE》はヒット曲の「ジープスター」で始まる。1972年3月に行われたウェンブリー・エンパイア・ホールでのコンサート。Tレックス絶頂期のライブで、観客は95パーセントが10代の女の子と思われる。黄色い歓声が(悲鳴)が凄い。マーク・ボランもエレキギターをギンギンに弾きまくっている。ラメの入った白いジャケットが眩しい。

2曲目の「BABY STRANGE」でもう総立ち、狂ったように踊りまくる観客。汗が額からほとばしるマーク。

ライブ映像だけではなく、曲の合間にショートコントが挿入されていて、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』にも出ていたジョージ・グレイドンという小人が出演しています。

続いてスタジオジャムセッションが……。「TUTTI FRUTTI」というロックンロールナンバー。ドラムスにリンゴ・スター、ピアノがエルトン・ジョンだ。若いエルトン・ジョン、弾くというよりは鍵盤叩きまくりです。

ライブ映像に戻り「SPACEBALL RICOCHET」ではアコースティックギターに持ち替えて弾き語り、ここでも女の子の悲鳴は続く。

「GET IT ON」では、曲が始まる前に客にタンバリンを投げ込むメンバーのミッキー・フィン。

ティラノザウルスレックス時代のマークを思わせるヒット曲のアコースティック・メドレーなんかもあるんだけど、客席の熱狂は止むことはない。マーク・ボランもオーディエンスも長い間乾ききった興奮や熱狂を強く待ち望んでいたのだろうな、そんな風に思わざるを得ないコンサートだ。ちょうど、1964年のロサンジェルスのハリウッド・ボウルでのビートルズのように……

この後Tレックスは1972年をピークに急速に下降線を辿っていくが、アイドル性にプラスアルファの実力、周囲のサポートや他のメンバーの実力がなかったとかあるのだろうけど、個性が強すぎて普遍性がなかったのかもしれないなとも考えられる。しかし、アダム・アントやデュラン・デュラン、カルチャークラブ等に与えた影響は強く、ブリティッシュ・ロックシーンにとっては忘れられない重要な存在であったことは確か。

マーク・ボランは、1977年夫人が運転する助手席に乗り合わせ交通事故にあい死んでしまったのが29歳。亡くなる1年前ごろから、再評価の機運が高まっていた時の事故でした。

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ティラノザウルス・レックス『THE BEST OF』 

長年の懸案事項の一つだったティラノザウルス・レックスのアルバムを手に入れました。改めて触れておくと、ティラノザウルス・レックスはグラム・ロックで70年代前期イギリスを席巻したT・レックスの前身バンド、というよりは、T・レックスそのものなのだけど、バンドの中心人物マーク・ボランが音楽性の方向転換と共に、バンド名をシンプルにして再出発をしたバンドがTレックス。それ以前がティラノザウルス・レックスだ。
この手のバンドにどんな意味があるのかと思ったけど、手に入れたのはベスト盤。バンドの変化を知るには、とりあえずベスト盤ですから。
やはり、予想どうり曲はアコースティックギター中心の歌というよりは呪文やお経に近いナンバーが多い。
記憶違いが数点ありました。

1.ティラノザウルス・レックスとしてのアルバムはベスト盤を除くと4枚出している。(3枚だと思っていた。)
2.メンバーはマークとスティーブ・トゥックだと思っていたが、4枚目ではミッキー・フィンが既に加わっていたようだ。(ハモリの声で解る。)
その4枚目では、後のTレックス(以上)を思わせるエレクトリックなナンバー「エレメンタル・チャイルド」があって驚いた。それから「ファインド・ア・リトル・ウッド」はとてもいい曲です。「シーズ・オブ・アビジニア」は『世界を売った男』あたりのデビッド・ボウイを連想させる曲。
マーク・ボランにこの後どんな心境の変化があったかは詳しくは知らないが、「俺たちは、凄い音楽をやっているのに、誰も気づきやしない。」というインタビユー記事を読んだことがある。「ライド・ア・ホアイト・スワン」以降ヒット曲を連発するTレックス。変わり身の速さに感服してしまう。

結論を言うと、T・レックス好きにとっては、ティラノザウルス・レックスは無視はできないバンド、そうでない人には聞くことは強要しません。


(このアルバムのジャケットはTHE BEST OF T・REXと書いてありますが、正確にはTHE BEST OF TYRANNOSAURUS REXです。間違えて買ってはいけません。赤黄緑青のジャケットです。)


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